本文へジャンプ
霧幻峡パワースポット紹介
廃村集落には、今なお大山祇神社や子安観音。霧幻地蔵や古民家。硫黄鉱山等
の産業遺産が歴史のままに残されています。
近年、重なる厄災から逃れたこの地蔵や神社や観音堂は、守り本尊として、
又そこに宿る霊力が、訪れた人の運気を上げ、
願い事をかなえる「パワースポット」としても注目を浴びています。



1,霧幻峡の渡し…
 昭和39 年4 月16 日午前6 時、三更部落背後の上部山腹(通称ブナ坂)が、大音響と共に崩壊し、一瞬の内に部落を埋め
尽くしました。戸数10戸の三更集落は、集団移転を余儀なくされ、各地に分散、集落廃村となりました。
 それに伴い、集落と対岸の早戸との間を繋ぎ、地区民の暮らしと命を守っていた渡し舟もその役目を終える事になりました。
 三更集落では、この渡し舟が対岸に渡る唯一の交通手段であった為に、まだ小学校にも上がらない子供達まで、誰でもが自ら船頭さんになって舟の操縦をしていました。
 和船は各戸で所有しており、専門の船頭さんがいないこの渡しでは、自分で舟を操作しなければ、川を渡ることが出来なかったのです
 大雨の日も、大雪の日も、台風の日も、激流に舟を漕ぎだし、遠い下流まで流されて大変な苦労をしながらこの川を渡っていました。
 遠回りの道もありましたが、冬期間は雪崩で危険な為に、年間を通して地域の命と暮らしを根本から支えてきたのがこの渡し舟でした。 2010年4月。二艘の和船が建造され
只見川渓谷に50年ぶりに霧幻峡の渡しが復活再現され、渓谷に又新しい風情が蘇ってきました。





2,堂岩遊びの広場…

渡し舟を下船すると豊かな自然に
包まれた広場で遊びましょう。
 この堂岩地区は、廃村前の三更地区の唯一の水田があった地域で、その田形や霧幻峡一帯に紫陽花等の花木を630本植樹を行いました。近い将来成木して辺り一面鮮やかな花々で彩られる事でしょう。

 この堂岩地内では、慶長16年(1611年)8月21日の会津大地震で、シラス層が大崩壊をおこし、大量の土石が只見川をせき止めて、人造湖を形成し、10km上流のm関根集落が水没して、対岸の宮崎集落に移転をするという大災害の歴史があり、これを「堂岩崩れ」としてその恐ろしさは今に伝えられています。
 

      


   
3,霧幻地蔵…

   昭和19 年に建立された霧幻峡のシンボル的スポット。地蔵が建っているる大きな岩は。丁度牛が只見川の絶景を俯瞰している様に横たわっているかの様でも見え、「べこ岩」と呼ばれ親しまれてきました。
 昭和39年の土砂崩壊の時も、崩壊した土砂はこの霧幻地蔵を境にしてストップし、残された家屋と地区民全員の命ををを守ったという事で、守り本尊として地区民の全幅の信頼を集めているお地蔵様です。
 集落の中心部の高台に位置し、ここから望む渓谷の大絶景は、思わず息を飲むほどに美しく、ベンチに座り、渓谷をのんびりと優雅に下る渡し舟を眺めながら、日頃のストレスを発散させましょう。素朴な地蔵に癒されます  

 この地蔵ポイントは昔の三更集落の丁度中心でここから左右に集落が広がっていました。
 また高台にある為に、この地蔵の前坂は往時の集落の子供達が遊んだスキーのメーンゲレンデで、大勢の子供達が「とんがよ!」と大声で叫び合いながら元気にスキーに興じていました。
ちなみに「とんがよ」とは「どきなさいよ」という意味でした。
 当時のスキーはもちろん、木製の板にゴム長靴を革の金具で締めた物で、回転も出来ないので急な細い坂道を直滑降専門で豪快に下っていました。




 

   
4,大山祇神社…
 約300 年前に、集団移転した三更集落誕生と同時に建造した神社。
瀟洒な神社を囲む杉の巨木に圧倒されます。
昭和39 年の三更集落裏山の大崩壊
でも神社は被災を免れたことから、
地域の守り神として絶大な信仰を集
めています。
 昔は地区の集会や山ノ神等の講事は全てここで行われました。当時の若者達の逢瀬の場にもなっていたものか、板張りには、「ここで秘め事をする者は性病になるぞ」という脅し文句が今も書かれたままに残っています。
集落廃村となって50年。地区の人達は今も訪れて参拝を絶やさず、地区の守り神として敬っています。

 

      


5,霧幻峡子安観音…
 約300 年前の三更集落誕生と同時に建造された観音堂。
子宝と安産と子供の健やかな成長を願う人達が近隣からもたくさんお参りに訪れて、賑わっていたといいます。
 もちろん今も地区の人達はお参りに訪れ遠く離れた子や孫達の、安産や健やかな成長を祈って参拝をしています。

観音堂前に立つ古色蒼然とした石碑には、文政6 年(1823 年)と
明瞭に刻み込まれており、200年前からの歴史の風格を今に伝えています。

この観音堂の右手にある広場は、玉造硫黄鉱山の精錬場跡地となっていて、往時は多くの人々がこの界隈で働いていたものでした。
 

    


6,古民家・
  霧幻庵と霧幻亭…
廃村集落に今も現存している古民家。霧幻庵は典型的な雪国仕様の曲がり屋。玄関を母屋と直角にして、豪雪でも出入りが出来るように、落雪を玄関両脇に落とす工夫になっています。
 又、玄関部で家畜を飼う為に、母屋と明確に区分する工夫でもあります。

 ススで黒光りする太い柱が、300
年の豪雪にも耐えた偉大な歴史を物語っています。
 昨年2010年。台所と簡易水洗が完備し、古色然とした中にも、快適な空間で人々を迎えています。

      


 7,滾滾(こんこん)清水…
山上湖でカルデラ湖である沼沢湖の浸透水が、深い地下に濾過されて突然に湧き出でています。
流れ清水ではないこの聖水は、天下の名水として、古来より地域住民を潤しています。雨沼集落〜霧幻峡に向かう町道添えに湧き出ており、車で行って汲むことも出来る利便性もあり、近年その聖水を求める人々が急増し人気が更に高まっています。
ペットボトルを持参すれば、誰でも無料で汲むことが出来ます。

 8,雨沼の展望台…
廃村となった三更住民の集団移転先である雨沼集落は、只見川渓谷の高台に位置し、早戸温泉つるの湯と只見川渓谷越しに向かい合い、湯の上場崖の豪快壮大な岩壁をつぶさに見ることができます。
プロジェクトでは、2011年にツリーハウスやウッドデッキ、プチログハウス等フリースペースの整備を計画しています。
このツリーハウスを拠点として、集落周辺を埋め尽くす杉林を整備し、快適な森林空間と里山再生の活動にも力を入れたいと考えています。
 もちろん、霧幻峡と対岸の早戸地区とを結ぶウオーキングイベントの中間地点の休憩所としたり、年間を通しての霧幻活動のアンテナショップとしての活用も予定されています。


 9,立ての上展望台…
 慶長16 年(1611 年)8月21 日の会
津大地震で、シラス層が大崩壊をおこし大量の土石が只見川をせき止めて、人造湖を形成し、10km上流の関根集落が水没して、対岸の宮崎集落に移転をするという大災害の歴史があり、
これを「堂岩崩れ」としてその恐ろしさは、今に伝えられています。
 その水没をした関根集落こそが、そもそもの三更集落の原点であり、関根集落はその後、そこから6km程下流の高倉集落の川向かいの古三更に集団移転をしましたが、100年後に集落裏山が崩壊し、再びの廃村、集団移転を余儀なくされ、今から300年前に、現在の三更地区に集団移転を行いました。三度目の移転であったことから、その集落の地名が「三更」になったと言われています。400年前に集団移転の原因となったその土砂崩壊の地に、300年後安住の地として移り住む事になったのです。
因果は巡るといいますが、数奇な運命と巡り合わせを感じざるを得ません。
 …そして半世紀前、安住の地であった筈の三更地区は、またもや土砂崩壊となって、住民に4度目の集団移転を突きつけたという訳です。
 その因縁多き崩落した堂岩からそそり立つ岩壁が「立ての上」で、急峻な遊歩道を進む
と、その山頂に立つことが出来ます。
頂上は独立した山林台地広がっており、3方大展望が指呼の間に望むことが
出来ます。
この展望台の整備も2011年に進める計画となっております。

 10、玉造硫黄鉱山跡…
昭和28 年〜採掘が始まった玉造硫黄鉱山は、村に活況を及ぼしたものの、僅か7 年で閉鎖となりました。
 高度成長期になると硫黄の需要減や輸入の増加で採算が悪化し、昭和35 年に完全に閉山となったもので、閉山により放置された鉱山採掘穴にやがて水が溜まり、それが昭和39 年のブナ坂大崩壊の原因となり、三更集落は廃村の道を辿る事となりました。
この硫黄鉱山跡地も産業遺跡として2011年に整備する計画となっています


◎霧幻峡のパンフレットもご覧下さい(PDF)
   mugenkyoupanfure.pdf へのリンク


◎霧幻峡周辺のガイド資料です